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2012-05-07

東京暮らし10年目を迎えて

僕は2001年に博多の音楽の学校を出て、ろくに就活もしてなかったので、ハローワークで見つけた大分のSI屋さんのようなデザインやさんのような会社に新卒で入社して、毎日実家から通い、働いていました。

当時21歳だった僕は2002年の秋ごろからほぼノンストップで働き続け、大量の案件をこなし、いつの間にか22歳になって桜の季節を迎えて。

2003年の3月下旬。ガンガン働き続けてた時に当時役員だった上司に肩を叩かれて、、

「渋谷にこんな会社あるんだけど、そろそろ東京に来ない?」と。

差し出されたパンフレットがこれ。

※今は”VOYAGE GROUP“に社名を変えました

話を聞いているとすごく魅力的な業務内容。おもしろそう。

その頃僕は、受託で地元の銀行や大学のサイトを作る仕事ばかりしていて、「そろそろ人に見てもらえる仕事をしたい!」と常に口にしていました。

一人暮らしは2年福岡で学校に通ってたのでそこそこ慣れてるけど、大分からいきなり東京に飛んでいく事の不安が尽きず、2週間ぐらいごねていたのを覚えています。

東京に打ち合わせで上京

4月下旬。

とりあえず話でもして、ちょっと東京観光出来ればいいかなー。ぐらいの軽いノリで渋谷のアクシブドットコムに打ち合わせへ。

超緊張の中、上司と訪問したら、初っ端からいきなり社長の@usaponさんが満遍の笑を浮かべて現れたのが印象的でした。

僕が技術的にできることとかを半ば雑談的に話して、1時間ぐらいで打ち合わせが終了。

打ち合わせたその日に東京行きが決まった

打ち合わせ終了後、僕は一旦大分に帰り、メールを開いたら、その日のうちに上司から「東京行きが決まりました」とメールが。。

これはもう行くしか無いな、と決めました。

ゴールデンウィーク中に荷物をまとめて、5月6日に上京。

大分の会社が飛行機から、横浜の住処、引越し業者に簡単な家具まで用意してくれてた。

今思えば至れり尽くせりだったなー。

アクシブドットコムに大分の会社からの業務委託として入り、2年後社員へ

入社早々、まずはプログラマーとしてシステムの改修にかかり、徐々にインフラ担当にシフトへ。

障害が起きると夜中でもいきなり電話がかかってきたりしましたが、

実地でこなしていくうちに今のインフラ知識の基礎となる所を身につけられたと思います。

業務をこなしているうちに、やはり業務委託だと、いろいろと限界を感じてきたので、

2005年4月にアクシブドットコムの正社員へ。

その後、今の社屋に移転したり、社名変更(アクシブドットコム→ECナビに伴うサイトとかメールとか)の作業、またプログラマーに戻り、ラボ合宿に参加したりして。

mixiで知り合った会社へ

2006年に、ある日いきなりmixiでメッセージが。社長から、

うちのサーバ見てくれない?

みたいなすごく軽いノリでしたが(;´∀`)

話を聞いてみたら、インフラまるっとお任せ、のようなお話。

ECナビも居心地が良かったのですが、そろそろ環境を変えたかったのもあったので、2006年11月で退社。

西麻布界隈へ

当時は「ゼイヴェル」という社名でしたが、

※今は”ブランディング”です。

最初はその関連会社に入り、ゼイヴェルにも少しずつコミットするように。

データセンターの運用がメインでしたが、かなりの台数のサーバの削減とか、TOKYO GIRLS COLLECTIONのステージ裏でバックヤードスタッフとか、なぜかデザイナーの面接官なんかもやらせて頂いて、それはそれで面白い経験を積めました。

西麻布には4年半程通い、2011年6月に退社。

その後、フリーの道に踏み入れ、先日のエントリのような感じ。

東京に出てきて良かった

もしあの時大分に居続けてたら、

相変わらず”人に見られるかわからない”仕事ばっかりやってただろうし、

今ほどいろんな人に出会えてなかったと思います。

大分で結婚でもして平凡に過ごしてたんだろうな。

リスクを恐れず、思い切って行動してきたこと

ここまで就活もしていなければ、転職活動らしい転職活動もしてなかったのです。

その場その場で選択、決断を迫られ、えいっと身を投じてきたらこうなった、という感じ。

ここまで順調に見えるかも知れませんが、仕事的にもプライベート的にも窮地に立たされた事が沢山あります。

平坦ではなかったけど、それはそれで楽しめてきたし、それが今のフリーの活動にも生きてきている気がします。

これからも、選択、決断を迫られても、リスクを恐れないでえいっと決めて、進んでしまいたいと思う。

それが後々の自分に何かしらプラスになる。そう思います。

 

22歳の時の僕は、右も左も分からないぺーぺーだったのに、思い切って東京に引っ張り出した大分の会社の上司、上京のきっかけになった、超ハイリスクな僕を受け入れてくれた@usaponさん、そして東京でこれまで一緒にお仕事をしてきた皆様に感謝。そして、これからもよろしくおねがいします。